問いに対する答えが見つからない時 オリジン(原点)に戻って考えてみる
すると 答えは自ずと向こうからやってくる

外尾悦郎

形の意味

ある日、ある場所で頭上に浮かんでいた形の数々をぼんやり眺めていたら、あれ?どこかで一度お会いしたことありますよね?っていう形に出会ったんです。いつ、どこで会ったのか必死にシナプスを繋げたところ、あーあのご兄弟の弟さんね、と思い出せました。
その弟さんの姿の意味は何なのか、自分なりに考えてみました。
考えてみたけれど、どうしても分からないこともあり、ある大学にメールで問い合わせようと思っていたところ、偶然にもシンボルに詳しいという方が現れ、私が代わりに調べましょうと仰ってくださったのです。こういう縁ってあるんだなーとありがたく思いながら、その親切な方に弟の写真を送りました。それから程なくして、意味を探究する旅は終わり、失望と共に封印しました。

Facebook広告

不思議なことってあるんですね。それから3年が経ったある晩、facebookを見ていたら外尾悦郎氏のウェビナー広告が出てきたんです。検索したキーワードに関連した広告が出るっていうけれど、彼の名前を検索したのはもう1年以上前のこと。その広告によるとウェビナーは5週連続で行われると。とりあえず一度参加してみようと思い、サインアップしました。
その第一回目のウェビナー冒頭です。

嫉妬が悪魔を産む

冒頭に放たれた言葉が胸の奥に刺さり、自然と涙が出ました。それから毎週、ウェビナーに参加しました。参加当初は質問をすることは考えていなかったのですが、三回目のウェビナーでチャット質問をしました。対面じゃないのにすごく緊張して、掌には汗、椅子の上では正座です。質問は『権威と象徴』について。権威と象徴ってセットで考えられることが多いけれど、それって私にはどうにも可笑しな話だと思うんですよね。象徴には権威は潜んでいないと思うんです。象徴はあくまでもデザインであり形。象徴に権威が宿っているかのように見えるのは、権威を欲している人間の心の現れだと思うんです。その形がどこにあるのか、誰が掲げているかで、昨日まで見向きもされなかった形でさえ、ある日を境にそれは全く別物となり神々しく扱われたり、疎ましく思われたり。もしも象徴が喋れると想像してみてください。ある人間が象徴を手に「この紋所が目に入らぬか!」って叫んだら、「あなたいい加減にしないさいよ。本当にみっともない人ね」って言うと思うんです。

海と大地が丸みおびていると知っていたら

私の『権威と象徴』の問いに対する返答の中で、ご本人は話すつもりではなかったお話をしてくださりました。外尾さんが象徴を作り続けてきた中、彼の意思とは異なる形を作らざるをえなかった出来事です。その話を聞いた後、ある一つの考えが私の頭の中に浮かびました。

もしも、あの形が作られた時代に生きていた人々が、自分たちが踏みしめている大地やその先どこへ辿り着くのか分からない未知の海洋、それらが丸みおびていると知っていたのだろうか?たとえ、多くの市民は地球が平面だと疑うことなく信じても、石を彫り形を生み出すことのできる、その当時いた最高レベルの職人であれば、海と大地は球体であると測量から知っていたんじゃないか?そしてもしも、地球が球体であると分かっていたら、自分たちがいる場所とは反対側の空にも星があると推測できていた。だから本当だったら、あの形を作った職人は円を囲むように星を刻むつもりだったんじゃないかな?でも、そこに異を唱える権威者が現れ「星々は我らの頭上のみに存在し輝きつづける」と主張。そして下半分の星々は切り落とされてしまった。

私の勝手な想像だけれど、なぜそんな考えが浮かんだか?
たぶんだけどね、それは私の問いに答えてくれた外尾さんが、その出来事を話し始める前に一瞬見せた表情から浮かんできたのかもしれない。
歳を重ねたジェダイは、自分の中に生まれそうになる悪魔を殺すためにライトセーバーを使うんだよね。

地球の平面説と球体説

いつ人々は地球を球体だと知ったのか?そこで読んでみました。『ぼくと数学の旅に出よう ー真理を追い求めた1万年の物語ー』と『地球儀の社会史 ー愛しくも、物憂げな球体ー』の2冊です。結論から言うと、紀元前6世紀のピタゴラス、アリストテレスの時代には地球は球体であるとわかっていた。しかしその後、古代の知識は忘れ去られ、中世のヨーロッパでは地球平面説が主流に。そして15世紀の終わり頃、人々は再び球体説を信じるようになった。

あの形がいつ作られたのか、私にははっきりとしたことは分かりません。しかし、私の妄想もあり得ない話ではないのかもしれない。
昔分かっていたことが、今は忘れ去られ見失うこともあるようです。

そして今また、地球平面説を唱える人が出てきたとか。

これからの千年

問いに対する答えが見つからない時 オリジン(原点)に戻って考えてみる
すると 答えは自ずと向こうからやってくる


この意味が分かったのと同時にあの形の意味も分かった気がしました。そしてウェビナー最終回、外尾さんはこうも話されました。

これまでの千年は文明が大きな扉を開いてきた。これからの千年は一人一人の中にある小さな扉を自らの手で開いていく。

最後に、私はこの奇妙な作り話としか聞こえない話を感想として送りました。おそらく、相当ヤバイ人が視聴したもんだと思われたことでしょう(笑)。送信後はヘナヘナと力が抜けました。形は本来あるべきところに戻り、安全な場所に納められたような、とても不思議な感覚でした。

まるで電気のない時代へタイムトラベルをしたかのような。
夜空一面に輝く星、ベル(鈴)の音色、そしてノミを打つ音が木霊する時代に。

これまでの千年とこれからの千年