佐藤絵里

1977年、東京生まれ。小学校の卒業文集に「将来は絵描きかデザイナーになりたい」と書いていたことを失念しながら、グラフィックデザインを専攻する。

2002年アメリカ、サンタモニカカレッジ、グラフィックデザイン科&イントラクティブメディアデザイン科を卒業。
卒業後、昼間はビバリーヒルズにある映画ポスター製作会社でインターンをしながら、それだけでは食べていけないと夜はサンセットにあるセレブ御用達寿司バーでのチップ生活を半年間続ける。

その後、牛角アメリカ本土一号店で働きながら、フランス人デザイナーに誘われアパレル系スタートアップでアシスタントを務める。何者かよく分からない彼と一緒に働き始めてから1ヶ月後、「僕はブルネイ国王に選ばれて、国王が計画した7つ星ホテルのブランディングをするためにアメリカに来た。けれど同時多発テロが起きて国王のアドバイザーからホテル建設のストップをかけられてしまい、無職となって今に至る」と彼の経歴を明かされる。嘘か本当か分からない、アメリカンドリーム詐欺!?と疑ったが私を騙したところで、私から奪えるものは何もない!と共に働くことを決断する。

その後、フランス人デザイナーに投資をしようとする投資家達の時には強引と思える駆け引き、まだ商品のラインナップも揃っていない会社に多額の資金を投じて筆頭株主になろうと大手企業間で繰り広げられるマネーゲーム。毎日が驚きと興奮、これぞアメリカンドリーム的な日々に、彼のアシスタントなんて務まるの?との不安からふわふわした生活が続き改めてどんなデザインをしていきたいのか考え直す。

自分のレベルで自分が納得できる、いい!と感じられるデザインをしていった方が細く長く続けられるだろうと、地に足をつけるため日本へ帰国。

2004年から東京渋谷にあるメディア製作会社でウェブデザイナーとして就職。アパレル、航空宇宙関連のサイトを担当する。
やっと履歴書に書けるだけの、まともな社会生活を送れるようになったと思ったのもつかの間。

2006年から夫の転勤に伴いマレーシアへ。絵画や陶芸を一端の駐在妻らしく楽しみながら、知人に誘われボランティアを始める。現地日本人会の婦人部役員など、性に合わないと思うものもとりあえずやってみる。やってみると、意外とちょっとしたデザインを加えるだけで、野暮ったい婦人部の印象も変わることに楽しさを覚える。福祉施設訪問、チャリティーバザー、盆踊り大会、新年会、戦没日本軍兵の御墓参り等の運営業務、日本人会会報誌の取材、執筆に携わる。

2012年、再び東京。6年もウェブ業界から離れた浦島花子。その上、これまでのガタガタな経歴が相重なってバイトでの応募にも落ち続ける。この先どうしようと悩んでいたところ、夫が国連でのグラフィックデザイナー(ボランティア)募集記事を見つけてくる。小テストと面接を受けて、なんとかデザイナー業に復帰。

ボランティアを始めてすぐに気がついたのは、ここにはデザイナーを使いこなせるだけの人がいない!それならば、こちらから勝手に作って見せて提案してしまおうと、文字と数字データばかりの情報資料をデザインし始める。
国連へ週に2−3日通いながら、友人が経営する古民家バーのお手伝い、世界陸上の翻訳、多国籍ギークが揃ったテクノロジー系スタートアップと二足のビーサンを履く。

2016年、最初に決めた『ボランティアをするなら3年』を終えフリーランスとして独立。
外国人ギークが集うIoT系ベンチャーでお手伝いをしながら、ロゴ・パンフレット・広告バナー・Tシャツ・看護雑誌・研究論文・ウェブコンテンツの挿絵などを描いている。

2022年、NewハンコProjectを開始。