昨年の夏、リオオリンピックが終わって1ヶ月半後、TBS番組「オールスター感謝祭」で日本の芸能人数十名とロンドン、リオの二大会連続二冠(ダブル・ダブル)に輝いたモハメド・ファラー選手が出演し、赤坂TBS周辺をミニマラソンで競った。もちろん世界のトップアスリートなのでハンデをつけたが、圧巻の華麗な走りで優勝。しかし、その番組を見終えた時、これでいいのか?と違和感を感じた。

昨年のリオでは第二次世界大戦後以降、最大の数に膨れ上がった難民に対し、IOCは特別枠で難民選手団を設けた。
ファラーはイギリス代表選手だが、彼が生まれたのはソマリア。一家はソマリア紛争が勃発する前に祖父母のいる隣国ジブチへ渡り、8歳の時にイギリスへ渡った。

ここでダブルの一つ目の別の意味。彼には生き別れになった双子の兄がいた。ジブチからイギリスへ出発する直前、病気にかかった兄はジブチの親戚の家に残ることになった。だがその後、親戚一家の消息は途絶えてしまう。 父は息子を探しにジブチへ戻るが探すことはできず、その後に妻と離婚。母と暮らすことを決めたモハメド。母もジブチへ戻り双子のハッサンを探し村を巡り一軒一軒訪ね歩いたが息子を見つけることはできなかった。 後に分かったことだが、父が息子を探しにジブチへ戻る前、親戚一家はハッサンを連れてソマリアへ戻っていたのだ。母とハッサンは無事再会できたが、モハメドが兄に会うまではさらに9年を要した。

そして2003年、ハッサンの結婚式に出席するため、お金を貯めてソマリアへ帰国し双子の兄と12年ぶりの再会を果たした。 その時、ソマリアでは男性は髪を短く髭を生やすのが伝統なため、髪を剃り、今の丸坊主頭のモハメド・ファラーが誕生した。
(ここで怖いなと思うのは、多くの海外メディアも日本メディアもオリンピック感動秘話として、双子の兄弟が戦火の中をくぐり抜ける途中で生き別れになったと話が少し膨らんでいる。紛争前に紛争とは関係なく隣国に移住した。その直後紛争が始まったので、結果的に幸運だったと本人は語っている)

彼は難民ではなく移民としてイギリスへ渡ったわけだが、それでもリオ難民選手団にとって彼はロールモデルであっただろう。 だからファラーがオリンピック後に来日して赤坂を走った時、話題の中心が日本の若い女優さんが脱水状態でも奮闘し完走を遂げ、それをスタジオで見ていた別の女優さんたちが涙を流し、最後はその女優さんが出演するドラマの番宣で終わったのを見て、なんだかカルチャーショックを受けたような違和感を感じた。

そしてもう一つのダブル。彼には妻と継子、そして妻との間にできた双子の娘、さらに男の子が誕生した。 4人の子どもの父となったファラーはリオの10,000m決勝で転倒というハプニングがあったが、追い上げ見事優勝を果たした。 そして子ども全員分の金メダルを揃えられたことに喜んだ。

今まで有力とされている陸上選手の海外記事を訳してきたが、ファラー選手以上に競技を越えて世界の縮図を示すかのような記事に溢れた選手はいない。

イギリスEU離脱を問う国民投票結果後の、リオ五輪での二冠ダブル優勝。
メイ首相の移民取締りへの強行姿勢と、移民選手の代名詞となったファラー。

リオ五輪後には彼の練習拠点があるアメリカ、ポートランドへ戻る際、乗り継ぎのアトランタで彼の家族は優先的に登場できるチケットを持っていたにも関わらず、列の中で唯一黒人だった彼の一家はエコノミークラスで待てと係員から指示を受け、人種差別だと妻が激怒。
それを見ていた他の乗客が係員に、彼はオリンピックチャンピオンですよと言ったらしいが、そういう問題ではない。

さらに、ロシアの関与が疑われている(ロシアスポーツ省は関与を否定)イギリス人選手のメディカルデータハッキング事件。

彼はただひたすら走っているお茶目なアスリートなのに、彼を取り巻く周囲が常に騒がしい。

そんな彼は今月初め、イギリスでの功績が認められナイトの称号を受けファラーは、サー・モハメド・ファラーとなった。
そして昨日、高地トレーニング先のエチオピアから悲鳴を上げた。 ソマリアとイギリスの両方の国籍を持っている彼の練習拠点があるアメリカに、彼の妻と子どもたちがいるからだ。 家族が引き離されることを一度経験しているファラーにとっては、悪夢の再来。 結果から言えば、イギリスのパスポートを持っているファラーはアメリカに再入国できることとなったけれど、それで良かったと済む話ではない。

彼のfacebookには
『1月1日、女王陛下からナイトの爵位を授かった
1月27日、トランプ大統領は私を異星人にさせたいようだ』

長い説明になったけれど、これだけでも彼を他の陸上選手と同等に語るのは無理なことは分かって頂けたと思います。
トラック競技から引退を考えていると言う(マラソンへ移行するらしい)ファラーの、もしかすると最後の大舞台。夏の世界陸上。
しかも開催場所はロンドン。彼が有終の美を飾るとしたらロンドン以上に相応しい場所はないので、間違いなく優勝を狙って挑むでしょう。
ファラーの出場が確定されたわけではないけれど、選手一人だけをフォーカスするわけにはいかないけれど、テレビ局側は見所の一つとして取り上げるでしょう。
日本人にはあまり馴染みのない難民や移民のはなしとなるだけに、彼のこれまでの人生とスポーツの関わりを過度に盛り上げたり恣意的に作り込んだりせず、こういう時だからこそ慎重に適切に取り上げてくれることを切に願います。