東京生まれ東京育ちの私にとって、自然が身近にあったとは言い難い。自然と接する機会がなかったわけではないが、裏山や小川というものはなかった。山と言えば、高尾山の遠足。川は父が連れて行ってくれた多摩川くらいなもの。畑は、世田谷の実家近くにも広い畑はあった。ただ、それも私が中学へ入った頃には分譲住宅地へと変わった。だからと言ってしまおう。虫は苦手。所謂、都会っ子なのだ。あきる野市の友人が言うには、同じ東京人でも私は『23区の女 』 らしい。

今回、とまと農家さんからロゴ制作の依頼を受けて、 トマトの味や形は当然分かるにしても、とまとがどんな植物なのかを知ってみることから始めた。
そこで手にとって読んでみたのは、こちらの本。

植物は知性を持っている

植物と聞いて言えることは・・

そもそも私のように自然と深く触れ合っていない人間からすると、植物に関して持っている知識といえば、自然界のピラミッドの底辺、言い換えれば根底をなすもので、地球が存続するために大気中の二酸化炭素を吸い込んで、酸素を吐き出してくれる生き物。そして、人間も含めた動物の栄養源として成長してくれる生き物。
見ての通り、数行でしか説明できない貧弱な知識しか持ち合わせていないのです。

生態系ピラミッド

この本の序文にもあるように、人間は人間の驕りという高い垣根を想像力で飛び越えなければ、この本を読みすすめるのは厳しいだろう。
この本を一言で述べるとしたら?生態系ピラミッドの頂点にいるのは人間。これを逆にしてみたらどうだろう?無重力だったら、人間が植物を支えている図になるけれど、重力があるので逆さにすると、人間は潰れてしまう。
そう、植物は人間がいなくてもなんの問題もなく生きていける。けれど、人間は植物なしではたちまち絶滅してしまうのだ。
だとしたら、植物は人間以上に高い知能が備わっていると考えた方が自然だよね?

知性とは?魂とは?

この本の面白いところは、植物の光合成や細胞だけの話に収まらないところ。人間は話すことも、動くこともできない植物を地球上の二級市民としてしか捉えていない。知性や魂は人間と高等生物(チンパンジーなど)だけに与えられた特権と勘違いをして鼻高々に暮らしている。自分たちは植物がなければたちまち絶滅してしまうのに、都合よくそこは気付かないふりをして日々過ごしているのだ。
では、心改め見て見ぬふりをせず考えていくと、知性と魂の再定義が必要になる。

植物と人間の大きな違いは「個」

誰もが知っていること - 人間は体の一部を切り取ったら(適切な医学的治療を除く)生き続けられない。特に、頭がなければ。しかし、植物は違う。枝や葉の一部を切り取ってもたいていは生きている。それはどの組織も独立しているからだ。
個人を英語にすると『individual』。ラテン語の『in』は『 ~ではない 』 、『dividuus』は分割可能。つまり分割不可能なのが個人なのだ。では、体が二つに分かれても生きていられる植物はというと『創発特性』という言葉がふさわしいらしい。
初めて聞いた言葉なので、そのまま本から抜粋すると

-グループを形成することによって生みだされる、元の構成要素(個人など)を超える特性

つまり、一本の木を見た時、私たちは一本としか数えないけれど、そこは言ってみれば個人が集まった集合住宅なんだろう。

人間との類似点

ここは笑って類似点を見てみよう。植物も他の生物と同様に、子孫を残すことが重要になる。植物の受粉を手助けするのは昆虫。そのために蜜や香りを産生し、昆虫を惹き付ける。この時、植物にも誠実な植物と不実な植物があるという。
誠実な植物というのは、受粉を手助けしてくれた昆虫に蜜を与えること。不実な植物は蜜を与えず、昆虫に仕事をしてもらう。その方法と言うのが、何とも笑ってしまう。ランの一種、オフリス・アピフェラは雄のハチをおびき寄せるため、雌の姿や形、さらには組織の硬さ、軟毛などそっくりに似せる。さらには交尾の準備が出来た雌のハチが放つフェロモンまで放出するのだ。
つまり、このランは雄のハチを視覚でだまし、触覚でだまし、嗅覚でだます。もう、ここまで読むと雄のハチに一言、同情の言葉をかけてあげたくなる。
「騙されても仕方ないわ。あなたが悪いわけじゃない。相手が一枚上手だっただけよ」

そして、その雄は文字通り花園で至福の時を迎える。すると突然、花の仕掛けが作動し、雄のハチは頭から花粉をかぶる。何が起きたのか状況を把握しないまま、雄のハチはまたしても次の花へと飛んでいく。
生態系ピラミッドでは植物の上に昆虫がいるというのに、雄のハチは植物に弄ばれている。
人間界でもこれに近い話は聞いたことがある。
「女性かと思ったら男だったんだよ!!」と嘆く男性はかつていた。しかし「女性かと思ったら植物だったんだよ!!」と言う嘆きは、幸いながら今まで聞いたことはない。

そしてトマトを知る

肝心のトマトに関する記述はというと、トマトのコミュニケーション能力について書かれてあった。トマトは昆虫に襲われると、数百メートル離れた場所のトマトに対して、大量の警告メッセージが入ったBVOCという微粒子を発生するそうだ。すると、そのメッセージを受けた葉は虫の攻撃に備えるべく、葉を消化できなくする化合物を出したり、葉を有毒にする化合物を作り出す。人間で例えると、敵が攻めてきたときにラッパを吹くようなものだろう。ラッパの音を聞いた人間は身体で毒を産生できないので、武器を構える。うーん、それを考えると、人間の身体性能は低くてよかったのかもしれない。そうでなければ、人間は喋る、動く、危険を感じたら相手を毒殺する、なーんていう生き物になっていたかもしれない。そして遠の昔に人間は絶滅していただろう。もしかしたら、それが理由で植物は歩くことができないの!?

なーんて、私と似たことを考えた人がいたようだ。
この本の冒頭に、面白い表現があった。

植物は「逆立ちした人間」であると考える者もいた。すなわち、頭を土のなかに突っこみ、逆立ちした人間にできないことはできないものの、それ以外ならなんでもでき、感覚や知性もある、というわけだ。

やばい。面白い絵が浮かんできた!
これぞシュールレアリズム!!
地中に頭が埋まって、地上に突き出た脚をバタつかせる植物。
地上に根を張る人間と、地中に根を張る植物。その絵を引いて90度回転させたら、あの雄バチの右脳と左脳だったー!とかね。
妄想がとまらない。
とまらんとまと。

では、この本を持って、愛媛のトマト農家へ住み込みフリーランスへ行ってきまーす!