9月下旬、ある映画が気になり東京大学での上映会へ行ってきました。

もちろん映画の内容そのものも気になったのですが、一番の関心は映画のタイトルが『女を修理する男』という、あまりにも荒っぽいタイトルだったからです。

ベルギーで制作されたコンゴ民主共和国での性暴力と紛争の実態を収録したドキュメンタリー映画。

フランス語は分かりませんが、タイトルをほぼ直訳なのでしょう。

L’homme qui répare les femmes: la colère d’Hippocrate

映画の内容は、コンゴ東部で性暴力被害にあった女性の医療活動に励む、一人の男性医師のお話です。

ドキュメンタリー映画なので回想シーンで目を覆うような性暴力シーンなどは一切ありませんが、日本人の私たちが知る性暴力とは明らかに次元の異なる内容に、映画のタイトルにこれ以上の言葉は探せません。

性的欲求からの性暴力ではないのです。

コンゴ東部に眠る鉱物資源争いの一武器として、性暴力が最も安価で手っ取り早いからという理由。

例えば日本で、空港や鉄道、ダムを作るのに立ち退きを命じなければいけない村があったとしましょう。日本であれば法の下で国、もしくは地方自治体と村民との間で移住先での保障や金銭面での話し合いが設けられるでしょう。しかし法治国家として成り立っていない国で、掘るだけで今までに味わったことのない富を手に入れられると知れば、そこに無数の武装勢力はハイエナのように集まってくるのです。銃器や火器で脅すこともあるでしょう。それよりも一網打尽に村民に心理的恐怖を植え付け村から追い出す、もしくは奴隷として利用するには性暴力が効率的なのです。そして女性である証の性器を持っていれば、生後半年の乳児から80歳の老婆までの性器を破壊するのです。

 

上映会から一週間後、映画の主人公であるムクウェゲ医師が来日し講演会があると知り、東京大学の会場へ25分遅れでつきました。

会場となったホールは地下2階。階段を下りて行くと、下から大きな声で聴きなれない言語が聞こえてくるのです。

ムクウェゲ医師の声?とも思いましたが、受付近くにあるパーティションを隔てた向こう側から誰かが激怒しているのです。

これはコンゴ人の話し方の特徴かとも思いましたが、明らかにその声音は何かを強く訴えている様子。

会場に入るとちょうどムクウェゲ医師の講演が始まりました。

講演会での言葉を幾つか紹介したいと思います。

 

コンゴ(民)では4万人以上の女性が性的被害にあっている。

それは性的欲求から起こっているのではなく、性的テロとして使われている。

女性の性器を見れば、どこの武装グループの犯行かが分かる。

恐怖で黙らせるために、木の棒など使って膣に穴をあける。その傷は直腸にまで及ぶ。

殺しはしないけれど、一生の苦しみを女性に残す。

私は3万人の女性を診断した結果、彼女たちがどこから来たかを地図に記せば必ずそこには鉱山がある。

コンゴは窓や扉のない宝石店だ。

コンゴは法、そして倫理の整備をしなくてはならない。

自由にしすぎると、自由は破壊される。

コンゴでは警察や軍が国民を守ることはできない。

根底からひっくり返さなければならないのだ。

性暴力を犯す人たちもまた、子ども兵として誘拐され心を奪われた人たちである。

その子たちが大きくなり、社会の時限爆弾としてコンゴで生きていくのである。

優れた文明とは物質の多さだけでなく、意識の高さである。

日本にきて素晴らしい言葉を覚えた。

利他

他人の幸せ、コミュニティーの幸せを自分の幸せと捉える、覚えやすい素晴らしい言葉だ。

 

講演会が終わり、最後に司会者が「会の冒頭にありました男性とは筑波大学の〇〇教授がお話をつけてくださいました。この後、ムクウェゲ医師は警備員の警護の元、先ほどの男性と会談する場を設けましたので、皆さんご安心ください。」とのアナウンスが。

ムクウェゲ医師はNYの国連本部でスピーチを行う前日、本国の保健大臣からスピーチをしないように迫られ帰国した末、自宅に到着したところで武装グループに暗殺されかけた人だったので、何かしら逆の立場の人間からの抗議だったのか、もしくは抗議していた人物の家族も性的暴力を受け、被害者の立場で訴えたかったのか、と推測しながら会場を後にしました。

私が大学構内を右往左往している間に、このような一場面があったのですね。

怒鳴り声に足が震えた〜会場にいた私たちが直面した複雑すぎる世界について〜

 

ムクウェゲ医師
ムクウェゲ医師の講演会