理想で選んだインターン先

2002年、カリフォルニア。カレッジの卒業と同時にインターンとして映画ポスター制作会社で働き始めた。その会社は私がインターンを始める1年くらい前に、2人のグラフィックデザイナーが大手デザイン会社から独立して作った小さなデザイン会社だった。
一人はアメリカ人のスティーブン。もう一人はトルコ人のエムラ。
二人の並外れたセンスとスピードに圧倒されつつも、経験と月日を重ねたら私もいつか彼らのようになれる?と希望と疑問に包まれた。
インターン先を探すにあたって、私が選ぶ基準に据えていたのは自分が理想とする仕事に接することができる会社だった。就職のことは考えなかった。なぜ就職のことを考えなかったかと言うと、まず第一にカレッジ卒業のグラフィックデザイナーの卵に就労ビザをサポートしてまで雇ってくれるデザイン会社など無いに等しかった。多少期待ができたのは日系フリー雑誌を発行している会社、もしくはビザのサポート有りと宣伝し学生上がりの日本人留学生を呼び込む評判の悪い会社くらいだった。
できることならアメリカに残りたいと言う気持ちは強かった。しかし、それ以上にアメリカで一年間働ける資格があるうちに(カレッジを卒業すると1年間はpractical training visaを使って米国で働ける)ここでしかできない経験を得るべきだという直感に従った。だから就職に有利とか言う理由でなく、その職場での空気を一度味わってみたいと思える会社をネットで探し、記憶は曖昧だが10社〜20社にプロフィールとポートフォリオを送った。

ビバリーヒルズにある小さなデザイン会社

その数十社のうち、面接の連絡をもらえたのは一社だけだった。ビバリーヒルズにある小さなデザイン会社、iconisus。二人のデザイナーと秘書、ときどき犬一匹も出社するオフィスだった。面接で何を聞かれたのか、話したのか全く覚えてないけれど、今思えば運よく採用されることになった。
仕事内容は人物の切り抜き、映画のクレジット作成、カンプデザインの印刷とプレゼンテーション用のブラックボードへの貼り付け作業。
映画ポスターができるまでの流れはざっくり説明すると以下の流れで出来上がる。

1.  映画配給会社が3社にデザインを依頼

2.  各社デザイン案を送付

3. 選考で選ばれた2社が再びデザイン案を送付

4. 最終的に選ばれた1社のデザインを採用

このデザイン案を作り出す過程には息を呑む。二人のデザイナーは3日間で平均100案ほど制作する。それら全てを印刷し、インターンは手袋をはめブラックボードに貼りつけ、一枚一枚オフィスの壁に並べていく。100案ものポスターに囲まれる光景はまさに圧巻で、何をどうやったら短期間でこれだけ作れるものかと力の差を見せつけられる。だからこそ、ここでインターンを終えたら雇ってもらえるかも、なんていう甘い期待を抱くことはなかった。

色褪せない経験

学生を終えて社会人として生きていくうえ、というより食べていくためにデザインすることを辞めてしまう友人は多かった。私がデザインすることに執着し続けた大きな理由の一つに、あのインターンでの半年間の経験があったからだと思う。インターンでは1セントも貰うことはなかった。ガソリン代も出なかった。だから夜のレストランで稼げるチップが収入の全てだった。それでもあの経験はお金には代え難い経験だった。
あれから20年近く経つけれど、あの二人を超えるデザイナーに会ったことはない。むしろ、いつだって彼らのホームページを覗いて作品を見る度に、ため息が出る。ため息は美しいものを観た時に出るため息。才能の違い、それはあって当然と思っているので気にしたことはない。彼らと同じ才能はない。けれど彼らと一緒に仕事をして得られたあの感覚へはいつでも戻れる。色褪せないインターン経験は人生の宝。だからインターン先を考えるとき、就職、就労ビザなんてことを考えなくて本当に良かった。理想の仕事を経験できたおかげで、理想の輪郭は今も消えることなく残っている。

そして今

昨年の秋、職務経歴書を書かなくてはならない事情から、過去を振り返り数年ぶりに彼らの会社を検索してみた。私が帰国してから数年後、二人は大きなデザインスタジオを構えるまでになっていた。しかし、数年前に事務所を閉じたようだった。あー、あの才能ある二人も苦境に立たされてしまったんだろうなと寂しく思いながら、エムラの名前で検索してみた。なぜエムラの名前で検索したかと言えば、スティーブとエムラ、共同経営者だがトルコ人のエムラには揺るぎない彼独自の世界観があり、精神的にもタフな人だった。彼がデザインの世界から消えることはあり得ないと思いエムラの名前を検索した。

ふかーーーーいため息が出た。
あーーーーー、エムラだ。
何一つ変わっていない。
あのビバリーヒルズの小さなデザイン会社の時に見たあの世界が拡張され、城となっていた。
彼は自分の名前で独立し、ブランディング、ポスター制作、インテリアデザインの3本柱を築いていた。

リンク先、一番右のインテリアを覗くと彼の城が見られる。
https://www.emrahyucel.com/

いい空気を吸った。
今日もがんばろう。