ファンタジー作家、J・R・R・トールキンが『ホビットの冒険』や『指輪物語』を創作するまでに至った背景や生い立ちを描いた映画『トールキン』を観に行ってきました。
ファンタジー映画を子どもが観る映画と捉える大人もいるけれど、ファンタジーこそ現実世界を忠実に語り、ゆっくり身体に流れ溶け込んでいくもの。だからこそ、何度見ても新しい発見があるんだと思う。子どもの頃に観たファンタジーも、その人が経験を積んで大人になり、再びそのファンタジーを観ると「そういうことか!」と気づかされることが多いのは、現実世界を多く味わったからだろう。

ファンタジーの源泉

1892年、トールキンは南アフリカで生まれた。その3年後、母は弟とトールキンを連れてイギリスへ帰国。南アフリカへ残った銀行家の父は間も無くしてリウマチ熱で死去。そして、母も34歳の若さでこの世を去る。孤児となった兄弟は母の友人、モーガン神父の支援の元、母方の伯母の家に下宿する。
名門校キング・エドワード校に入学したトールキンはそこで3人の野心溢れる仲間と出会う。厳格な校長の息子で画家を夢見るロバート・ギルソン。息子には弁護士を目指して欲しいと願う母を持つジェフリー・スミスは、劇作家になるのが夢。また詩をつくるのが得意。そしてクラシック音楽家を目指すクリストファー・ワイズマン。トールキン以外の3人の少年は名門家の出身で、少年の親たちは息子が芸術の道に進むことを望んでいない。それでも、トールキンを含めた少年たち4人は「芸術の力で世界を変える」ことを誓い自分たちの秘密クラブT.C.B.S.をつくる。

そして下宿先では後にトールキンの妻となる、同じ孤児として下宿していた女性エディスとも出会う。彼女はピアニストになることを夢見ていた。

この時の出会いこそまさに、トールキンのファンタジーの源泉であった。

破壊された絆

ファンタジーの力が最大に活かされる時は、必ずと言っていいほど、優しい言葉の一言や二言では癒えない、深い溝に居る時。感傷的になるのはまだ心に余裕がある時。悲しみや憎しみさえ通り越し、もはや自分の身に起きたことではないのでは?と思えてくるとき、ファンタジーは遠く現実逃避させてくれる。それがかえって自分を現実に連れ戻してくれる。そして、これもいつか何かの物語の一部になるんだろう。だから逃げださず、できるだけしっかり見ておこう、向き合っていこうという気にさせてくれる。その結果「あの人は楽観的ね」と思われたりもする、笑。

話を戻して、トールキンたち少年4人は大学在学中、第一次世界大戦の戦火に飲み込まれていく。画家を目指していたロバート、詩が得意だったジェフリーは命を落とす。
第一次世界大戦は近代戦争の幕開けだった。新型爆薬、速射砲、化学兵器と殺傷能力の優れたものが次々と開発された。映画の中でも、トールキンが防毒マスクを被り、ふらつきながら友人の安否を確かめるべく、戦場を突き進む姿があった。シリアで防毒マスクを被った医者が、白目をむいて意識のない人々に必死に水をかけていた映像を思い出すシーンでもあった。

物語の入り口

塹壕熱にかかり、イギリスに戻され生き延びたトールキン。後に、トールキンは彼のいた部隊はほぼ全滅したことを知る。「芸術で世界を変える」と共に誓った友人二人も失い、戦争の後遺症に悩まされる。
しかし、妻の支えを得て現実の地獄の先、物語の入り口にトールキンは立った。
そう、映画のタイトルにある『トールキン 旅のはじまり』がはじまり、ここから壮大な神話的物語『ホビットの冒険』『指輪物語』が誕生した。

神話とは

神話的物語とは、人間の持てる最大の想像力が人間の醜さや卑しさも含め、雄大に優しく包み込んだ時、神話と呼ばれるんじゃないかなーと思う。そしてそれは100年後も1000年後も、神話は繰り返し何度でも生まれ変わるだろう。トールキンが少年時代にゾートロープを回転させていたように。それもこれも人間は変わらず人間として生まれてくるお陰。
大人であればこそ温泉に浸かるように、時には力を抜いてファンタジーの世界に身を浸し、想像を広く深めてみたらいいと思う。そうすれば自然と自己表現も変わり、楽しい仲間が集まってくる、はず!

さーて、私はこの辺で自分の現実に戻りトマト農家のロゴを作ります。
きっと植物の世界にもファンタジーがたくさん詰まっているんだろうなー。