ファッションはただ肌を覆うため、暖をとるために作られたわけではなく、自分に合った服を身に着けることで自信をつけたり、アイデンティティーを示すこともできる。
プロポーションのいい身体とバランスの取れた顔立ちをしたモデルは、声に出すか出さないかは別として多くの人が密かにでも憧れる存在。
身に着けたいファッションに-3キロが必要ならば、着こなせるようにダイエットもする。
足の長さが足りなければ靴擦れを我慢してもヒールを履く。
そのファッションが高価なものであれば、そのための労働も惜しまない。

それら全てをクリアして手に入れたファッション。
満足した瞬間、人間の心の弱さを突くように提示される次の欲求。
人参を目の前に吊るされた馬のように、また走る。

色の組み合わせ、形の組み合わせ、生地の組み合わせ、柄の組み合わせ、これらを合計したらどれくらいになるんだろう。
そんなことを考えるのも面倒、人工知能に考えてもらった方が便利だ。

それにしても、買えば買うほど欲しいファッションは目の前に現れる。
まるでドラッグのようだ。
朝、通勤電車の中で見たインスタグラムで友人が持っていた鞄が気になった。
昼、一緒にランチをした同僚が履いていたスニーカーが気になった。
夜、美容室で見た雑誌のニットが気になった。

今、すれ違った人のトータルコーディネートが気になった。

週末、パーティーの写真をインスタに投稿したら、いいねが沢山もらえた。
『そのドレス似合ってるね!』のコメントがもらえた。

でも、この湧き出る欲求を満たすためには一体いくらあれば足りるんだろう。
あー、これらがもっと安ければいいのに。
もっと簡単に買えたらいいのに。

そんな妄想に捕りつかれている方にお勧めの映画があります。
ファッション中毒症に悩んでいる方の解毒剤:

ザ・トゥルー・コスト

監督のメッセージを一度目に通してみてください。