世界陸上ロンドン5日前

テレビ番組『情熱大陸』で山縣選手の放送を見た。肉体改造で筋肉量を増やした山縣選手は順調にトレーニングを進めていたように思えたが、筋肉量の増加で足に負担がかかり足首の負傷へと繋がってしまった。そして日本選手権では6位という結果で今年の世界陸上への代表入りを果たせなかった。

番組内で印象的だったシーン

山縣選手が筋力トレーニング中、考えながら発していた内容。
走れない日々が続いて、9秒台が遠のいていくような感覚に陥り初めて心が揺れた。
それは自分の理想がしっかりしていないから。
世界陸上で決勝に残ること、オリンピックで表彰台に上がることは目標であるけれど、タイトル、タイムだけじゃない、何か。9秒台を出すということはただの手段であって、自分はその大事な何かのために走らなければならない。

100分の1秒を争う世界。練習をすれば成果がでる時期から一歩枠を出れば、なぜ自分はこんなにも一生懸命に100分の1秒を縮めることに今ある全てを捧げているのだろうと考えてしまうのかもしれない。それを聞いた時に、思い出したのが南アフリカ代表のキャスター・セメンヤについての海外記事にあった一文だった。

性別疑惑を乗り越えたキャスター・セメンヤ

who else but Caster alludes to life being more than the quest for gold?

キャスター以外の誰が人生は金メダルへの挑戦よりもずっと大きなものだと示せるのか?

キャスター・セメンヤは女子800Mでロンドン五輪、リオ五輪共に金メダル。今回の世界陸上ロンドンでも800Mで金メダル、1500Mでも銅メダルに輝いた。しかし彼女が今堂々とトラックを走れるようになるまで、侮辱的とも言える性別テストを受けさせられ大会出場停止処分にまで追い込まれた時期があった。生まれつきテストステロン値の高い彼女の女性枠での出場が公正かどうか、有識者から様々な意見が飛び交った。男性のテストステロン値が高い分には議論に至らないが、女性のテストステロン値が高いとそれは女性枠を通り越して男性枠へ入り込むと考える者もいた。
しかしセメンヤは女性として生まれ、女性として育った。確かに体型は他の選手と比べると大柄であり、女性の伴侶を得たのも事実。でも大柄であることは生まれ持った体型であり、女性と結婚したのもその女性を愛していたからであり、それだけの理由で彼女は男性だとは言えない。
そもそもオリンピックなどの大舞台でメダルを獲る、特に陸上アスリートの身体は、その他大勢の身体とは大分かけ離れている。生まれつき特異体質(それを才能やギフトと呼ぶこともある)として生まれてきた上に、本人の地道な努力と精神力、そして運がメダルという最高峰へ導いている。

キャスター・セメンヤの金メダル獲得の裏には自分の性別を公の場で問われる、メダル以上の挑戦があった。
そして彼女と同じ南アフリカ代表のルヴォ・マニョンガ、彼もまた金メダルへの挑戦より厳しい現実があった。

貧困&ドラッグ漬けの日々から抜け出したルヴォ・マニョンガ

リオ五輪では男子走り幅跳で銀メダル、そして今回の世界陸上で見事に金メダルに輝いたルヴォ・マニョンガ。彼を取り上げる海外記事の長いこと。それもそのはずマニョンガの陸上以外の人生を読むと、まるで一本の映画を観終えたような気分になる。

マニョンガの父はフォークリフトの運転手、母は家政婦として働いていた。2016年の記事によると、父親は7年前に失業してから仕事を見つけらていない。母が家族唯一の稼ぎ頭として働いていたが、空腹のまま眠りについたこともあった。食べ物がない時、彼の母親は近所に子どもたちの分だけでもと食糧をお願いすることもあったという。
そんな彼に転機が訪れたのが2010年。ジュニア世界選手権で優勝、そして翌年の2011年には世界陸上テグ大会で5位入賞を果たし賞金を得た。そのことから家族や友人は彼に期待するようになる。ただスター選手の階段を上ることへの期待だけではなく、空腹から抜け出すことへの期待と言ってもいいだろう。周囲からの期待がどれほどのものだった想像はつかないが、彼はそこからドラッグに溺れる人生へと落ちていった。

もちろんドラッグに手を出した彼は大会出場停止処分18ヶ月を言い渡される。けれどドーピングとは違う覚醒剤、一度手を出したらズルズルと底まで落ち、底すら抜ける。
彼を救おうと彼の最初のコーチ、マリオ・スミスは消えたマニョンガを探した。しかし不運にも車の事故に遭い帰らぬ人となった。その知らせを受けてもなお、マニョンガは友人とハイになりコーチの葬式には参列しなかった。

家族以外は誰もマニョンガが生きているのかさえ興味を示さない中、2013年アイルランド出身の体力強化コーチ、ジョン・マグラス(背中を痛める前まではボート競技で活躍していた)が魂の抜けたマニョンガを見つけ出し、数年間の厳しい時間を共に過ごした。そしてマニョンガは再び自分自身に跳躍という才能を見つけ出し、アスリートとして返り咲いた。

ここで不思議に思うのは、覚醒剤に手を出して出場停止処分が18ヶ月なんて短かすぎない?という疑問。そう通常なら2年間の停止処分なのだが、彼の最初のコーチ、亡きマリオ・スミスが彼の貧しい家庭環境と麻薬に関する教育不足を理由として処分の軽減に尽力していた。

マニョンガが故郷から900マイル離れたプレトリア大学のハイパフォーマンスセンターでトレーニングを受ける理由には、トレーニング内容や実績だけではない別の理由もあった。
彼の育った西ケープタウン、パール郊外にある街は銃、麻薬、暴力が蔓延している。彼が再びアスリートとしての人生を取り戻せるよう、わざと練習拠点を彼の故郷から遠く離れた場所に設けた。
昔出入りをしていた街角や旧友までもが再発の原因となるからだ。
一度覚醒剤に溺れた人間を通常の生活に戻すだけでも、本人は当然のことそれを支える周囲も並大抵の努力では済まない。それを世界で競える選手に育ているというのだから、関わる全員が忍耐に忍耐を重ねた日々を過ごし徐々にマニョンガの身体に魂を戻していかなければならなかった。ジョン・マグラスの言葉通おり、マニョンガはJumps or Diesの状況だった。

リオ五輪では銀メダル、世界陸上ロンドンでは念願の優勝を果たした。

海外記事の中でマニョンガはこう言っていた。

Sometimes all we need is a second chance. I needed someone to just believe in me again, someone to remember I wasn’t dead yet.

私たちには2度目のチャンスさえあればという時がある。ただ、もう一度自分を信じてくれて、まだマニョンガは生きている、奴は死んでいないと思い出してくれる誰かが必要だったんだ。

南アフリカ政府の統計ではケープタウンだけでも25万人がクリスタル・メス(覚せい剤/メタンフェタミン)を使用しているという。きっとはマニョンガは陸上の大舞台で勝ち取ったメダルや記録以上に、2度目のチャンスを与えられた幸運の重みをしっかりと受け取っているだろう。

タイトルやタイムだけじゃない何か

南アフリカ代表の二選手、キャスター・セメンヤは生まれ持った体の特異性、ルヴォ・マニョンガは生まれ育った環境など自分自身では選択できない理由でアスリートとしての人生が大きく左右した選手だったが、実はこのように一人のアスリートについて記録以外の部分で読み手に考えさせるような海外記事は多い。特に目立つのは、オリンピックや世界陸上の大舞台で輝いた成績を残しながら、メダルの数やタイムだけではその人を語り尽くせない何かを残した、もしくは与えた選手。それは必ずしも苦境の中に立たされた選手だけではなく、整った環境下で過ごした選手の中にも、陸上の枠を越え考え行動している選手はいる。

記者だってメダルの色とタイムだけ伝える仕事だったら面白くはないはず。欧州の記者にはアフリカからの移民や、移民の親を持つスポーツ記者もいることから、同じ移民を背景に携え陸上に勤しむ選手に関しては自然と話の焦点は競技から社会全体へと展開して、時には国の枠も越え似た境遇にいる人間へのメッセージやエールにも変化する。

そういうストーリーを頭からお尻まで何本も訳していると、訳していてグイグイ引っ張られるものと選手には申し訳ないが(書き手の問題もあるので)、どーにも翻訳が進まない選手とに分かれる。もちろん選手が悪いわけであるはずもなく、むしろその練習量や鍛錬は並大抵のものでないのは十分に理解している。だがしかし、金メダルへの挑戦よりさらに大きな何かに挑戦しなければならないアスリートの陰に隠れてしまうのも事実。

陸上は他の競技と比べたら、道具や環境が揃うことなく誰にでも始められるスポーツだからこそ多くの人にチャンスが与えられる。
まだ決勝まで残る実力ある選手が出てきていないから記事の数は少ないけれど、難民選手団の中から決勝に残る選手が出てきたら間違いなくその選手に関する記事は溢れるだろう。それはスポーツの力、源だからと感じる人が多いからとも言えるけれど、それを望みとして繋いで欲しいと願う書き手と、望みとして受け取りたいと願う読み手が地球上に溢れている今だからこそなんだと思う。

1センチや1秒、100分の1秒を競う世界では、もしかしたらスポーツ記者からの英文記事が世界に発信させられることでその選手が受ける影響は大きいのかもしれない。スポーツという属性から、政治記者とは違って、嫌味や皮肉が書かれた記事は基本少ない(ゴシップ記事はあるけどね)。むしろスポーツだからこそ、この人物を世界に紹介したいと思う選手に記者は集まってくる。

走れない日々が続いたことで、タイトルやタイムだけじゃない何かを模索し始めた山縣選手。
彼の探る何かと9秒台が同時にやってくるような予感。
今後の山縣選手に注目です!