【悪意】

他人を憎み、害を加えようとする気持ち。

【善意】

他人のためを思う親切心。


映画ポバティー・インク

先週半ば、ドキュメンタリー映画『ポバティー・インク』を観に行ってきました。

全てを一括りにして話せる内容でないのは当然ですが、観に行って本当に良かったと思える作品でした。

先進国だろうが、途上国だろうが、健常者だろうが、障がい者だろうが、人間誰もが自分の手や身体、頭を使って仕事をし、社会の一員として自分のため、人のために役割や責任を果たす。
その対価として報酬を受け取り、自分や家族が生きていく上で必要な食料、住居、衣服、教育、医療を手にしていくのが、人が人らしく生きる上での基本であり必須条件であることを、この映画は余計な演出や過剰な音響効果を使うことなく映画の主旨をしっかりと伝えていました。

そして途上国支援、貧困支援が誰のために行っているのか?というのを、根本に戻って考え直す機会を与えてくれます。

組織や団体が大きければ大きいほど、人は長い物には巻かれ、本質を肌の奥では感じていながらも惰性で仕事をしてしまいがちなのは、非営利だろうが営利だろうが変わらないでしょう。
悪意と善意なら、多くの人が善意のある人間でいたいと思うの当然なのだろうけれど、これは善意と疑うこともなく染み付いた善意は自分の知らないところで誰かの人生の邪魔をしている。

デザインをする立場の人間であれば、この映画を観るとよく理解できることがあります。

私は国連機関でボランティアをした3年間、ブランディングについてじっくり考えてみました。
広報活動に使うもの(映像・写真・印刷物など)の至るところにデザインのプロたちが関わった痕跡がしっかりと見受けられます。
フォント選びから、意匠、配置、配色、音階、タイミング、ライティングまでデザインされたものです。
勿論それは間違ったことではありません。
それがデザイナーに求められている仕事だからです。

しかしその一方でデザインする色、形、音が複合的に絡みあって生まれる写真や映像は人の心を揺さぶると同時に、受けとる人の思考力を奪うことにも気づかされました。

ボランティアの経験から、安易に人の心に火をつけるデザインは控え、見る人に考える間を入れるよう心がけてはいるつもりです。

悪意があるのは、もちろん問題。けれど、これは善意ですっていうのも考えもの。
悪意と善意のあいだでうろうろと考え動いていきたいですね。

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